元従業員が語るブリヂストンエラステックの実態

自動車業界

タイヤ大手のブリヂストンは子会社のブリヂストンエラステックを中国企業へ売却しました。

引用元:ブリヂストン(5108) 親会社又は特定子会社の異動 吸収分割の決定 経営成績などに著しい影響を与える事象

元従業員としては驚き半分、やっぱりかという思いも半分です。

私が在籍していた当時のことをお話しします。

kassy
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選別作業ばっかりで辛かった・・・。

ブリヂストンエラステックとは

ブリヂストンの子会社として1970年、誕生しました。

当時の社名はブリヂストンクレバイトであり、ブリヂストンから防振ゴムの生産を移管されました。

引用元:株式会社プロスパイラマニュファクチャリング

その後、ブリヂストン防振ゴムを経て、ブリヂストンエラステックとなったのです。

さらにその後、ブリヂストン本体から売却され、現在はプロスパイラルマニュファクチャリングとなっています。

私は派遣社員として品質保証部に少しの間所属しましたが、選別ばかりやっていたイメージです。

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ブリヂストンという金看板。その中身は・・・

社員は大きく2種類

やはりブリヂストンという巨大な看板だけあり、本体からの出向社員も多く居ました。

特に、管理職は全てブリヂストンからの出向社員でした。

ゆえにブリヂストン社員とそれ以外に分かれていたのです。

私が居た当時は昼休憩は12時15分からでしたが、ブリヂストンの社員は12時から。

12時ごろ、おなか減ったなぁと思っていると、ブリヂストンの社員はもう食べ始めていて、それを見ながらのこりの15分を耐えていました。

当然良い気持ちはしません。

特にブリヂストンの連中は何喰わない顔でいるのが余計に・・・。

これが規則だから、と顔に書いてあるようで、どんどんブリヂストンが嫌いになっていきました。

ブリヂストンといえば鳩山御殿、なんてイメージの方もいらっしゃるでしょうが、こういう会社じゃさもありなんと思っていました。

こういった環境では人間関係もぎすぎすしていきます。

生産現場は特にそれが顕著でした。

加硫工程といい、防振ゴムの素材を高温で溶かす工程があるのですが、現場に来るブリヂストン社員などいません。

管理職が現場を良く把握できず、カイゼンが空回りしていく、がルーチンでした。

品質保証は選別屋

私は当時、品質保証部に配属となりましたが、ほぼ選別をしていた記憶しかありません。

参考:メーカーの宿命?選別作業とは

不具合の発生率が高いのです。

社外の倉庫でグリーンテックなどの外部業者の方と一緒に来る日も来る日も防振ゴムを選別していました。

倉庫に空調などはなく、夏場の選別は特につらいです。

巨大な扇風機にあたりながら、延々良品とそれ以外に分ける作業を繰り返す日々。

品質保証の仕事には違いありませんが、ホワイトカラーで入ったはずだよなと訝んでいました。

防振ゴムはもうからない

ブリヂストンエラステックはエンジンマウントなど、防振ゴムが主力の会社でしたが、防振ゴムはもうからないというのが定説でした。

タイヤなどのもうかる仕事は親会社であるブリヂストンが引き受け、もうからない仕事を押し付けられているという気持ちの社員が多かったイメージです。

タイヤとバーター、抱き合わせで販売されているなんて噂も飛び交っていました。

それでも当時はブリヂストンから売却されると考えていた社員はいなかったように思います。

私はこの会社、あまり利益も出していないみたいだし、親会社に見切られたらどうなるんだろう、日本企業は日産みたいな真似はしないのかな、と考えていましたが、現実となってしまいました。

そのもうかる仕事をしているはずのブリヂストンも8000人規模の大規模なリストラを行いました。

タイヤでさえこの状況では、防振ゴムは切り捨てられてしまうでしょう。

引用元:明日は我が身!? ブリヂストンが2事業売却、8000人転籍へ

工場は日本で操業し続けられるか?

売価が安いのであれば、コストを下げて利益を出すしかありません。

昨今労働者の低賃金化が言われていますが、それでも日本は東南アジアと比べると人件費は5倍~6倍程度です。

日本で作る理由が無ければ、ランニングコストの安い海外へ生産は移管されていくでしょう。

静岡県掛川にブリヂストンエラステックから名前を変えたプロスパイラルマニュファクチャリングは相変わらず大きな工場を抱えていますが、いつまで操業してくれるのでしょうか。

おわりに

私は品質保証の管理職の方の一人からやけに気に入られ、派遣採用の面接の際にもその場で採用が決まるほどでした。

辞める際には随分と惜しまれましたが、たとえ社員に採用されてもここには居られないと感じていました。

とにかくブリヂストンの社員たちが嫌いだったのです。

当時の同僚たちは元気かな、などと思いますが、私にはもはや知るすべもありません。

息災でいて欲しいと願っています。

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