今から10年ほど前の2012年頃。
私はテンプスタッフから紹介予定派遣の案件に応募し、無事合格しましたが、とんでもない末路を迎えてしまいました。
今回は紹介予定派遣の一例です。

10年経ってようやく話せるぐらいまで回復しました。
紹介予定派遣とは
通常の派遣とは異なり、社員採用を前提とした派遣になります。
3ヶ月~6ヶ月程度、実際に働いてもらい、能力は問題無いか、周囲と上手くやれるかなどを評価され、問題なければ社員採用となります。
私はこの案件に応募して合格し、働き始めました。
勤務先は農協の分析所
私が応募した案件は農協の生乳分析所の正社員 (職員)でした。
その当時、私は派遣で別の仕事をしていましたが、工場での作業員は体力的にもつらく、ホワイトカラーになりたいと思っており、転職活動を続けていました。
そんなある日、たまたま目にとまった分析員の仕事に応募したのです。
その分析所は毎日酪農家から集めてくる牛乳のサンプルを分析しており、成分や牛乳に血が混じっていないかなどを様々な装置を使い、分析していました。
職員、パートを含めて20人もいない小さな所帯でした。
合格の連絡を貰った時、ようやくボーナスを貰える立場になれると有頂天でした。
工場の仕事を辞め、それまで住んでいた千葉から栃木へ引っ越しも行いました。
実際働くと・・・
勤務開始時間の意味は?
紹介予定「派遣」ですので、まずは派遣社員です。
朝はクーラーボックスに入った牛乳のサンプルをトラックから降ろすところから始まります。
時期はちょうど真冬で、栃木の冬は北海道に住んだことのある私にとってもそれはそれは寒かったです。
勤務開始は8:30のはずですが、トラックは8時過ぎには分析所に来ていました。
所長から「朝は8:20には来て作業を・・・」と言われ、まず、ん?と思いました。
では、なぜ契約書は8:30勤務開始になっているのだ?
疑問でしたが、正社員採用がかかっています。
文句も言わず、朝は8時過ぎに来るようにしました。
妖怪あらわる
分析所では職員は分析の仕事を、パートはサンプルケースの洗浄などの雑務を、というように業務が分かれていました。
私はまずは派遣でしたので、パートの業務から入りましたが、「今月中には分析補助に入ってもらいたいと思っている」との課長の言葉から、張り切ってケースの洗浄を行っていました。
実務を始めると、2つ目の奇妙な点を見つけました。
職員とパートでなんだか大きな壁があるのです。
職員からパートへ話しかけたりはするのですが、逆はないのです。
パートから職員へ話しかけることはまずありませんでした。
なんだか妙なところだなとも思いましたが、黙っていました。
そんなある日、契約社員の年配の女性から仕事を頼まれました。
コイツがくせものでした。
朝、こちらからあいさつしないと何も言わない、パートが洗浄作業をあくせくやっているのに自分はコーヒーを飲みながらパートの手際が悪い、などとバカにして笑っている・・・など特徴が全て悪口になってしまうような人間です。
自己中の見本のような人間でした。
ヒマそうにしているのに、自分は手が悪いから、と自分の仕事を私に押し付けて来たので、止せばいいのに、私も「自分で出来ないのですか?」と返してしまったのです。
そこからは明らかに自分の仕事なのですが、「私の仕事じゃない!」と怒り出し、止まりませんでした。
そして後日、その契約社員をやけに気に入っている、前述の課長とは違うもう一人の課長から呼び出されました。
無実の罪で糾弾される
昼食後、課長から「契約社員さんからあなたが自分の仕事を拒否してうんぬん・・・」と責められ、驚きました。
あの年かさの契約社員は自分の非を全て私に押し付け、ほぼ捏造なぐらい事実を捻じ曲げて上申していました。
私もそんなウソだけの話を受け入れる訳にいかず、事実を話しました。
当初怒りで真っ赤だった課長も私の話を聞くと、大分トーンダウンしましたが、私に悪印象を持っているようでした。
後日分かったことですが、その課長はテンプスタッフの営業にまでクレームを入れていたようです。
全て捏造なのですが・・・。
加えて、営業の対応も良くありませんでした。
私が分析所で働き始める前に、どんな人でどこに住むか?と聞いた分析所に対し、
「候補者の個人情報は一切答えられない」
と冷たく返答していたのでした。
個人情報の取り扱いについて注意するのは結構ですが、言い方もあります。
それで勤務が開始になる前から、「お高くとまっている」と私は逆境からのスタートとなっていたのでした。
そういえばこの営業は、営業なのに人の話を聞かずに自分ばかり喋る人間で、こんなに話を聞かない営業は珍しいなと思ったほどでした。
採用見送り
評価がガタ落ちしたのは明らかでしたが、それでも採用の可能性がある限りは諦めるわけにはいきません。
そういう問題のある人間はそういう人間なのだと割り切って勤務を続けました。
その横で、その課長と契約社員は勤務時間中にも関わらず、自分たちの車を洗車していました。
水も分析所で契約している以上、会社の財産の筈ですが、お構いなしでした。
ある日、勤務を終えるとテンプスタッフの営業から留守電が入っていました。
「採用がお見送りに・・・」
一番聞きたくなかった言葉でした。
理由は協調性がない、でした。
協調性とは・・・?
紹介予定派遣は採用可否判断後、派遣を続けることができません。
ところが、ここが問題でした。
前倒しの契約終了
社員採用見送りでも、まだ契約が数か月残っている、その間に次を決めないとと思っていましたが、なんと、その派遣契約も前倒しで終了となることが決まりました。
これは私にとっては死活問題です。
まだ数ヶ月あると思っていた収入が突然途絶えてしまうのです。
そんなバカな、とテンプスタッフの営業に問い合わせると、客先からの要求で・・・との返答でした。
ならばと所長に聞いてみると、
「採用見送りの場合は派遣契約を前倒しで終了するというテンプスタッフの規則に従った」
と言うのです。
どちらが正しいのか?
私をホームレスにしたがっているのはどちらなのだ?
もはや疑心暗鬼です。
そんなある日、営業からまた電話で、どうしても会って話がしたいと言うのです。
もう何もかも億劫で気が進みませんでしたが、営業はゴリ押しし、
「(テンプスタッフの)オフィスにいらっしゃいますぅ?」
と半ば強引に私を近くのファミレスへ連れ出しました。
言い方が小ばかにしているようで不愉快でしたが、大人しく従いました。
自宅待機
営業の話は、私とテンプスタッフ間の契約はまだ1か月ほど残っていましたが、テンプスタッフと分析所との契約が終了になるので、今後自宅待機してもらうとのことでした。
実際に働いている、いわば当事者である私を不在にして進んでいたこの話に、私は非常に不愉快になり、なぜ私を抜きにして話を進めたのかと聞いてみましたが、営業の答えは
「ここはテンプスタッフと先方との契約ですので、あなたは関係ない」
でした。
これが派遣会社です。
あくまでクライアント、お客様は企業であって、派遣社員として送り込む人は使用人です。
使えなければ「次」を入れれば良いのです。
その後、次の派遣先をテンプスタッフが見つけてくれましたが、埼玉でした。
わずか3ヶ月ほどの居住で栃木から埼玉へまた引っ越すことになり、もう派遣などやりたくありませんでしたが、預貯金もほぼゼロでしたので、やむなく再度派遣として働きだしました。
一点だけ大きな変化があり、クビが決まってからパートの方々が急に優しくなりました。
やはりパートは職員を憎むぐらい嫌っており、当初は私のことも敵が増えた、ぐらいに思っていたようです。
クビが決まってから、私は「敵」から「敵に振り回された気の毒な若者」に変更です。
休憩の時間に一緒にお茶を飲んだり、年配の男性の方には飲みにも連れて行ってもらうようになり、ここにも人情はあるのだなと思ったことを覚えています。
絶縁
埼玉へ発つ前日、例の営業からまた留守電が入っていました。
内容は分析所のユニフォームを返却したかという問い合わせと、
「最後に会ってご挨拶を・・・」
よくもぬけぬけとこんなことを。
分析所で衝突したことについて、私に非が無いとは言いません。
人当たりの良い人でしたら、切り抜けることも出来たでしょう。
しかし、私をホームレス寸前まで追い込んだ一因は間違いなくこの営業とテンプスタッフにもあります。
その上で、何事もなかったかのように「ご挨拶」?
とても応じる気になれず、メールで制服を返却したことを伝え、加えて二度と連絡して来ない様にとも書きました。
絶縁状です。
次の埼玉の派遣先は比較的大きな上場企業で、さすがに分析所のようなことは起きませんでした。
こんなことがあってすぐでは、自分にひどい問題があるのでは、と思いがちですが、そうでもなかったと分かったことには救われました。
おわりに
この紹介予定派遣を首になった事件からもう10年が経ちました。早いものです。
事実は小説よりも奇なりですが、こんなドラマティックなことは一度きりとしたいものです。
今回は失敗談でしたが、紹介予定派遣ではこういったことも起きえます。
皆様にこのような酷いことが起きませんように。
それでは、こんな重い話に最後までお付き合い頂き、有難うございました。

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